<前次>

「あれだ、New Year Partyとかはやらないのか?お嬢ちゃんのところで」
不意に読んでいた雑誌から顔を上げてダンテがネロに尋ねる。面白くもないテレビプログラムを眺めていたネロが顔を上げ、ほんの少し言いにくそうにする。
「ああ、その話をこの間してたんだけど…」
「そうか、じゃあ休みをやるよ。里帰りしてきな」
ふむ、と一呼吸置き、さらりと言うとダンテは再び雑誌に目を向ける。
「え、でも店は…」
ネロは今ダンテの経営する便利屋…Devil May Cryで見習いデビルハンターとして世話になっている。殆ど身一つで転がり込んで無理矢理居着いたも同然なのだが、それでも雇ってくれているダンテにはそれなりに気を遣っていた。
そんなネロの心情を知ってか知らずか、ダンテがあっさりと休暇を出したのでネロはありがたいと思いながらも少々拍子抜けしたような気分になる。
「お前も知っての通り、依頼なんて殆どねえからな。それに元々は一人でやってたんだ、何の問題もない」
確かに電話が鳴ることはあまり多くはない。しかしそれ以上にこの店主が気まぐれで、気が乗らなければ依頼を受けないという困った性格だという事にも仕事が少ない原因がある、とネロは常々思っていた。それを本人に言いはしないが。
「……」
「だからゆっくりしてきて良いんだぜ? なんならそのままフォルトゥナに帰ったって構わないんだし」
雑誌から顔も上げずに再びさらりと心臓が止まるような事を口にするダンテに、流石にネロも腹を立てる。
「なんでだよ!俺まだ何もできるようになってないぜ…いや、それよりあんたは」
いつものように怒鳴り散らしそうになりながらもネロはその怒りをぐっと押し込める。少し気になる事がある。
「ん?」
怒鳴るのを無理矢理おさえたのが気になったのかどうなのか、ダンテが顔を上げる。
「あんたは一人で過ごすのか?」
「ああ、そうなるな。まあトリッシュやレディが急に来るかも知れねえからなんとも言えないが」
なんだそんな事か、と言わんばかりに片眉をひょいと上げると当たり前のように続ける。彼にとっては当たり前の事なのかも知れないが、ネロにはまだダンテという男のことがよくわからない。
「…家族、とか」
その一言にダンテが一瞬目を見開き、瞳孔がぎゅっと引き絞られた…ようにネロには見えた。
しかしそれは本当に一瞬の事でもしかしたら何の変化もなかったのかも知れない、とも思えた。それでもその瞬間、ネロの心臓は鷲掴みにされたように痛んだ。
「……居ても何も変わらないさ」
少しの間をおいてダンテがそっと吐き出す。
「……ごめん」
それはなんだかとても悪い事をしてしまったんじゃないかと思わせるような、そんな声だったものだから咄嗟にネロは素直に詫びた。
「謝る事じゃない。それより、そんな顔でお嬢ちゃんの所へ行くなよ?」

「…家族、ね」
ネロがフォルトゥナに帰るのを見送ると、久しぶりに静かになった事務所のソファで独りごちる。
居るとも居ないとも言えない。バージルは結局、あの後どうなったのかわからず終いだった。
あれから何年かしてマレット島でも魔に堕ちた彼と会ってはいるがまたもや消息は掴めず、だ。尤も彼のことだから、しつこく追われるのは好かないだろう。両親の仇を追っていた時とは打って変わって、ダンテはその消息をたどる事はしなかった。
だが閻魔刀は一度折られ、ネロのDTを弾いた姿は確かにバージルを思い出させた。
きっともう二度と、バージルに会う事はないだろう。
だがそれをネロに教えるつもりなど毛頭ない。
寂しくはなかった。少しの後悔はあるが。

そっと、今でも右手の平にうっすらと残る傷を撫でる。半魔の身に在りながら消えることのないそれは唯一、彼から残された優しさだった。

右手

年が明けて数日すると、ネロが帰って来た。ダンテは相変わらず雑誌を顔に乗せて大きなデスクにだらしなく脚を乗せ、居眠りをしていた。
事務所はネロが出かける前と変わらない、と思いたかったがダンテの性分なのかゴミや雑誌が散らかり放題だった。
「おっさん」
呆れた顔をしながらもネロは起きているんだか寝ているんだかわからないダンテに声を掛ける。ダンテの事だから、ネロが事務所付近に着いた辺りから目を覚ましているのに違いないのだが。
「早かったな。楽しんできたか?」
案の定ダンテはすぐに雑誌を顔から持ち上げ、ネロの顔を見る。
「ああ、うん…あの」
久しぶりに顔を見るとなんだか恥ずかしいような気がしてくる。ネロは口籠もるとダンテから僅かに目を逸らす。
「なんだ?」
「……ただ、い、ま…」
照れくさそうにぼそぼそとただいまと告げるネロに一瞬目を瞠ると、ダンテはすぐに相好を崩し優しげに目を細める。
「……ああ、お帰り、坊や」

ネロは帰ってくるなり洗濯やら掃除やらを片付けると、綺麗になった事務所の応接用テーブルにお茶の用意をする。フォルトゥナで土産を買ってきたので、暇なら久しぶりにお茶でもしようと思い立ったのだ。
「おっさんて、スパーダの息子、なんだよな…?」
言いながら土産の菓子を広げる。ネロが開けた箱の中にはスパーダを模ったと思しきチョコレートやクッキーが詰まっている。
それを一つつまみ上げ、微妙な顔をするとダンテは口に放り込んだ。
「どうした今更」
「いや…じゃあ、閻魔刀の元の持ち主って…」
紅茶を淹れながらネロが質問だかなんだかを口にすると、菓子を飲み込み「まあまあ美味い」などと呟きダンテが返事をする。
「大元は親父だな」
閻魔刀もリベリオンも、幼い頃に父・スパーダから与えられたものだ。今では形見となってしまったが、だからなんだと言う訳でもない。
「……やっぱり、返すよ」
カップをサーヴしながらネロが小さく頭を振る。
「なんだ、どうしたんだ、急に? 何かあったのか?」
湯気の上がる紅茶を口に運ぼうとした手を止め、ネロを見るダンテはどうやら本当に驚いているらしい。
「…だって、形見、なんだろ? 俺がずっと持ったままなんて」
ぼそぼそと、聞き取れるかどうかの声で早口に言うとネロは口を噤む。
久し振りに故郷に、フォルトゥナに帰って思ったのだ。自分にとってキリエとクレドは家族も同然だった、そしてこの街で信仰しているスパーダはダンテの父だと、あの事件で知った。
更に自分が右腕に取り込んでしまった物は家族の形見だと本人から聞いていた。
自分が出かける前にはダンテは家族が“居ても何も変わらない”と言っていた。それでも“家族”の形見ならば、手元に置いておきたい筈だ。
自分にはクレドに貰ったものも、そしてキリエも、傍に在る。だから。
「今更気にするな。それに、ソイツは坊やを気に入ってるみたいだしな」
だがダンテの態度は揺るぎない。じゃあ返せ、とも言わない。あの時と同じように、ネロは戸惑うばかりだ。
「気に入って…?」
理解出来ないと言うようにネロが首を傾げ眉を顰める。ああ、やっぱりどこかしら似ているかも知れないなあ、とどうでも良い事を考えながらダンテはわかるようなわからないような事を言う。
「俺には上手く扱えないんだ、それ。まあ、昔よりは懐いてくれたようだが」
扱うことはできなくもないが、リベリオンや自分が物にしてきた魔具達に比べると閻魔刀はやはり圧倒的に気難しく、ダンテの魔力に応えてはくれない。
「扱えないって?」
そして、ネロのように大技を扱うことは不可能に等しい。
「そういうもんなんだ、魔具ってのは」
魔具を扱うには選ばれるか、服従させるかしなければならない。あの時閻魔刀はバージルを選んだ。その時点でダンテには扱う資格が無かったと言うことになる。
「…」
理解出来ないと不満を顕にするネロの頭を撫で回し、ダンテが結論を出す。
「だからな、俺が持っていても仕方が無いのさ」
くしゃくしゃに乱された髪を撫で付けながらネロが唇を尖らせる。歳相応に可愛らしくなった顔を見詰めるダンテからすぐに目を逸らし、むくれる姿はどうしたって子供だ。
「…ガキ扱いするなよ…」
言ったところで無駄だと知っていながら、ネロはちくちくと攻撃する事を止められない。それもまた子供だと言われると知っているのだが。
「…なあ坊や。言っちまえばソイツは形見だが、武器であることに変わりはない」
ダンテがネロの右腕を触る。
「…」
「俺としては扱える奴が持ってくれた方が嬉しいのさ。それが坊やなら尚更、な」
そのまま手を取り、あやすようにゆるく揺らす。触れる掌が温かい、ような気がするとネロはぼんやり思う。この右手で温度を感じることは殆どできないにも関わらず、だ。
「…返せ、っつっても、もう返してやらないからな」
揺れる右手を見詰めながらネロが言うとダンテの唇が深く笑みの形にしなる。
「ああ、構わないぜ」
「その代わり」
急に語気を強めてネロが顔を上げる。
「ん?」
そして真顔でとんでも無い事を口にするのだ、この子供は。
「その代わり、俺はずっとここに居座るからな」
あからさまに動揺するダンテを置いて、ネロが良い事をを思いついたとばかりに目を輝かせる。ここは、自分に似ていなくもないな、とダンテはまたどういでもいい事を考える。
「おい、坊や何を」
鱗のようなものに覆われてごつごつした右手を握っていた手が強く握り返されて、思わず眉を顰めるがネロはそんな事はお構いなしだ。
「俺がここに居れば、閻魔刀だってあんたの手元にある事になるだろ?」
真顔で主張された内容にそっと胸を撫で下ろすとダンテは強張らせていた肩から力を抜く。
「……ああ……(そういう事か)」
半ばぐったりと溜息のようにそれだけ吐き出すとダンテは苦い笑みを浮かべる。
「ダメ、か?」
その顔を見てネロが珍しく眉尻を下げ、なんとも情けない顔をするとダンテは空いた方の手で頬を撫でる。
「いーや? 俺はまた、プロポーズでもされるのかと」
悪戯っぽく笑えば途端に下がっていた眉がキリキリと釣り上がる。なんだかそれがおかしくて、ダンテはにやにやと笑うことを止められない。
やはりどこか似ている。けれど、似ているから愛しく思うのではない。純粋に、この子供が愛しいと、そう思う。
「あんたなあ」
こめかみに青筋を立てながら胡乱な目をするネロの背後に、うっすらと何かが立ち上る気配。キレやすいのも似ているが、DT弾くのだけは勘弁してくれとダンテはにやにや笑いを引っ込める。
そしてふと気になったことを口に出すと。
「いやいや。居ても良いがな、お嬢ちゃんはどうするんだ?」
ダンテがキリエの事を口にした途端、ネロの顔が耳まで赤く染まる。さあっと、それはもう面白いほどはっきりと。
「…キリエの事は、関係ない……!」
可愛い。可愛いほど素直に反応するネロにダンテは笑みを深める。
「……いや、やっぱりダメだな」
「!?」
唐突にダメ出しをするダンテに驚いたネロが目を見開き、身構える。
「一人前になったら、自分の店でも構えな。坊やをお嬢ちゃんから取っちまうんじゃ可哀想だから、な」
そう言ってダンテはネロの右手をぽんぽんと叩くとすっかり冷めてしまった紅茶に口をつけた。


愛しい子供の右手はキリエの為にあるのです。
そしてダンテは自分の右手に残る傷がとても愛しいのです。